宮沢賢治 略年譜
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明治29(1896)年 誕生 8月27日(戸籍簿では8月1日)花巻川口町に出生。父政次郎(22歳)の長男。家
業は祖父喜助開業の質 ・古物商。 -三陸大津波・陸羽大地震
明治31(1898)年 2歳 妹トシ出生
明治34(1901)年 5歳 次妹シゲ出生
明治36(1903)年 7歳 町立花巻川口尋常高等小学校に入学
明治37(1904)年 8歳 小学2年生。弟清六出生。 -日露戦争開始
明治39(1906)年 10歳 小学4年生。父らの花巻仏教会夏期講習に参加。 -東北大飢饉窮民多数
明治40(1907)年 11歳 小学5年生。末妹クニ出生。鉱物好きで「石コ賢さん」といわれる。
明治42(1909)年 13歳 県立盛岡中学校入学。寄宿舎生活で鉱物や植物採集に熱中
明治44(1911)年 15歳 中学3年生。短歌の制作を開始。哲学書を愛読
大正 3(1914)年 18歳 盛岡中学校卒業。岩手病院で鼻の手術、初恋
大正 4(1915)年 19歳 盛岡高等農林学校首席入学、寄宿舎生活。級長 -岩手軽便鉄道開通
大正 7(1918)年 22歳 高農研究生。徴兵検査、兵役免除。童話創作開始 -全国米騒動
大正 9(1919)年 24歳 高農研究生修了。国柱会入会。妹トシ花巻高等女学校教諭となる。
大正10(1921)年 25歳 父の改宗ならず家出上京、自活しつつ国柱会奉仕活動。
「法華文学」創作。トシ病気の報で帰宅。稗貫農学校教諭
大正11(1922)年 26歳 農学校教諭。学校の精神歌や応援歌を作り自作劇上演。
11月27日妹トシ24歳で永眠。詩「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」を書く。
大正12(1923)年 27歳 県立花巻農学校教諭。上京、東京社への童話持ち込みは拒否される。
-関東大震災
大正13(1924)年 28歳 花農教諭。4月に心象スケッチ『春と修羅』、12月に童話集『注文の多い料理店』
を刊行
大正15・昭和元(1926)年 30歳 花農依願退職(春)。下根子の別宅で独居自炊生活。羅須地人協会設立
昭和 3(1928)年 32歳 肥料稲作巡回相談。夏旱天で稲作指導に奔走、発病。急性肺炎(年末)
昭和 6(1931)年 35歳 東北砕石工場技師嘱託。石灰販売に奔走。石灰宣伝上京中発病、遺書を執筆。帰宅
して療養 -不況失業者多数 ・東北冷害 ・娘身売り増。満州事変
昭和 7(1932)年 36歳 病床。砕石工場や肥料設計の相談に応答。作品推敲。菜食を続行して衰弱。「グス
コーブドリの伝記」を発表
昭和 8(1933)年 37歳 9月、急性肺炎の徴候。来訪の肥料相談に応対疲労、21日容態急変。『国訳妙法蓮
華経』千部刊行頒布を遺言し永眠。法名「真金院三不日賢善男子」
墓地は花巻市日蓮宗身照寺 -三陸大地震津波
花巻農学校教諭時代の宮沢賢治(大正13年)
上着は鹿革の陣羽織を仕立て直したもの(資料提供:林風舎)